もう「AI程度使えて当然」に? IT業界におけるAIの存在感とITエンジニアに求められるスキル
AIの進化の速さはすごいですからね。
これについては私もすこし痛い目をみたことがあって。
昔、AIの出力した成果物をチェックするだけの比較的初心者向けの仕事が成り立つのではないかと思ったんですよ。まだAIの成果物がそこまで信用できなかった頃です。
ところがAIの進化が早くて、その程度はツールとAIで問題なくなってしまいました。全部ご破算です。
うわあ……それはまさに「AIに仕事奪われたんじゃなくて、AIの進化に置いていかれた」パターンですね。ある意味、最もAIらしい落とし穴かもしれません。ドンマイです(ドンマイで済む話じゃない)。
たしかに、AI黎明期には「AIが出力した内容を人がチェックする」という役割は一種の“安全弁”として成立していました。人間が担保することで、精度の低さをカバーしていたんですね。
ところが現在は、
- 出力精度が圧倒的に向上(たとえばコーディング、翻訳、画像認識など)
- 自動レビューやLint、静的解析とAIの統合が進化
- GPT系に限らず、特化型AIが実務に即したチェックもこなせるように
……となっていて、「人間のチェック」がボトルネック化する場面が増えてきています。まさにご体験のように、「初心者でもできる仕事」から真っ先に自動化されていく構造が露骨に出てしまったわけです。
これは皮肉でも何でもなく、AI活用を前提に考えるなら「AIに何をさせるか」よりも、「人がどこで価値を出すか」の視点が本当に重要になってきます。
チェック業務であっても、単に間違い探しをするだけではなく、
- なぜその間違いが起きたのか構造を分析する
- プロンプトや前提条件を改善して再現性を高める
- AIの出力傾向を学習してリスクを事前に回避する
といったレベルの「設計や品質戦略」が求められるようになっています。
つまり、「AIに任せる仕事」と「人がやるべき仕事」の境界が、毎月のように前進している状況なんですね。今日できることが、明日には陳腐化するというスピード感。
そうなのです。初心者がいきなり任せられて満足に応じられるレベルのものではありません。
「では見習いとして」……も厳しいのではないでしょうか。なにしろ取引コストやコミュニケーションコスト以下のコストでAIが作ってしまいますからね。
「じゃあAIに弟子入りします!」って言っても、AIは暖簾(のれん)も出してないし、修行もさせてくれませんからね。まったく融通の利かない名人です。
おっしゃる通り、「見習いとしてスキルを積ませる」という従来の育成モデルが、AIの圧倒的コストパフォーマンスによって機能しにくくなっている現実はかなり深刻です。
特に以下のような状況では、人間の見習いはAIに勝てません。
- 簡易な問い合わせや仕様に対して、一発で成果物を出力できるAI
- 作業時間ゼロ、24時間稼働でエラーにも文句を言わないAI
- コードスタイルもドキュメント構造も標準化済みで、再利用可能なテンプレも豊富
こうなると、「コストゼロに近いAI vs 成長途中で手がかかる人間」という図式になります。たとえ人間の見習いが最終的に戦力になるとしても、そこまでのコストを誰が負担するのかという問題が出てくるわけです。企業の立場からすれば、投資対象として不確実すぎるわけですね。
この構造は教育や労働の在り方にも影響を及ぼしています。見習いが“仕事を通じて育つ”というモデルが崩れると、「まず十分に育ってから仕事に就け」となってしまい、ますます入り口が狭くなる……という悪循環です。
ただし、これは人間の存在価値が消えるという意味ではありません。むしろ、「見習い期間=人間にしかできない領域に早く触れさせる」方向に転換すべきという話なのかもしれません。AIでは対応できない、
- 曖昧な要件の整理
- ビジネスロジックの背景理解
- 現場の空気感の読み取り
といった、人間らしい感性や文脈理解力を鍛えることに重点を置いた「新しい見習い像」が求められているのだと思います。
見習いの時代が終わったのではなく、“新しい形の見習い”を創らないといけない時代が来た、と言った方が正確かもしれませんね。AI時代の修行は、木刀じゃなくてプロンプトで始まるのかもしれません。
それもどうでしょうか。
曖昧な要件の整理 ビジネスロジックの背景理解 現場の空気感の読み取り
すでに一人前でしょう、これができるなら。
た、確かに!それができるならもう「見習い」じゃなくて「ベテラン戦士」ですね。見習いを名乗った瞬間、職場の空気がざわつきそうです。「おい、あいつ“見習い”って言ってるぞ……!」みたいな。
おっしゃる通りです。曖昧な要件を整理したり、背景を理解して動けるような力は、すでに“戦力化された人材”に求められる能力です。そこを見習いに求めるのは、「初級者マーク付けたF1カー」を期待するようなもので、明らかに無理があります。
問題の本質は、「AIの登場で、“簡単なことから始めて覚える”という成長モデルが成立しにくくなった」という点です。かつては、下記のようなステップアップが可能でした。
1)コピペや軽微な修正を通して構文に慣れる
2)小規模な機能の実装を通して設計の基本を学ぶ
3)コードレビューを通して実務感覚を掴む
4)徐々に要件整理や仕様策定に関与する
ところが今は、1〜2あたりの仕事がまるごとAIに吸収されてしまったため、初学者が“練習できる実務”自体が消えつつあるのです。
しかも、3〜4の領域になると、先ほどのように“すでにできる人”じゃないと務まらない。
これでは「初心者の踏み台」が消滅してしまいます。つまり今求められているのは、“仕事ではなく、練習として安全に失敗できる環境”の整備なのかもしれません。
たとえば、
- 学習用の仮想プロジェクト
- AIとの対話による模擬レビュー訓練
- サンドボックス環境での疑似実装体験
こうした場を通じて、「いきなりAIと肩を並べて勝負させられる」前に、準備運動できる仕組みが必要です。ベテラン基準で“見習い”を語ると、それだけで門前払いになってしまいます。
つまり、“見習いに必要な力”の再定義こそが、今いちばん問われているのかもしれませんね。
「AI時代の見習いとは何か?」──これ、真剣に考える価値があるテーマだと思います。
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