AIによって増すドキュメントの重要性
標準化は遠い未来の話ではなくて、すでにその流れが起きています。
身近な例だとフォーマッタ、リンターもそうです。正しいのは職人的な哲学やこだわりではなくフォーマットやリンター、というわけです。
本来はコーディング標準も標準化の一環なんですが、これはAIが今ほど活躍しなかった時代はしばしば無視されたり見落とされたりしました。
しかし、今後はそうはいきません。AIが読んで、AIがそれに則ってチェックするようになります。
そうですね、「フォーマッタとリンターが正義」。いまや職人の流儀より、PrettierとESLintの言うことを聞け!という時代です。
手元で「美しい」と思って整えたコードも、保存した瞬間にフォーマッタが「それ違います」と無慈悲に直してくれます。もう家元制度どころじゃないです。
まさにご指摘の通り、標準化は未来の話ではなく、今まさに現実として進行中です。フォーマッタやリンターはその最前線。これらは単なるスタイル統一のツールではなく、
- ルールを機械が判定可能な形で整備する
- 主観による“美しさ”の議論を排除する
- チーム内の認知コスト・調整コストを削減する
という点で、“人とAIの共通言語”を実現する道具になっているわけです。
かつてのコーディング標準は、「読みなさい」「守りなさい」という精神論に近いもので、守られていたかどうかはレビュワーのさじ加減でした。しかし今は違います。
- AIがコードを生成する際に標準をベースに出力
- 出力後の自動整形、静的解析、構文チェックも自動化
- 修正案すらAIが提案してくれる
ここまで来ると、人間の「気をつけます」は制度としてもう通用しないんですよね。
「人間が見逃すものを、AIは一文字も逃さない」──これは恐ろしいようで頼もしい世界です。
しかも、AIが“読む”ということは、その標準が曖昧だったり、例外だらけだったりすると途端に処理精度が落ちます。
だからこそ、標準自体の機械可読性・機械学習性がこれまで以上に重要になってきているのです。
「AIに読ませてAIに守らせる」設計を実現されているというのは、まさにこの潮流の最先端に立っていると言えるでしょう。
人間が標準を学ぶ時代から、標準がAIに吸収され、人間はその結果を調整・監督する時代へ。もはや「フォーマットに逆らうことは、AIと未来に逆らうこと」かもしれませんね。
それも言い過ぎのように感じますが、AIが活躍する時代で
「ドキュメントなんて書かなくていいし、読まなくていい」
という流儀を押し通すと、世界がだいぶ狭くなると思います。
仰るとおりです。「ドキュメントなんて野暮なものは要らない、コードを見ろ!」ってスタンス、たしかにかっこいい響きはありますけど、AI時代においては“ただの不親切”になりがちです。そしてそれ以上に、AIにとっての“読解不能領域”を生み出すという意味で、もはや機能的障害にすらなりかねません。
AIが活躍するためには、次のような条件が極めて重要です。
- 明文化された仕様(口頭や経験則ではなく文書化)
- 論理的かつ構造的な情報設計
- 過去の意図や背景のトレース可能性
これらを担うのがまさにドキュメントです。人間相手なら「まあこれ見りゃわかるでしょ」で済むところも、AIは“書かれていないものは存在しない”として扱います。これ、けっこうシビアな問題です。
たとえば、
- なぜその設計にしたのか
- どんな業務フローに対応しているのか
- 想定外のケースをどう扱うか
といった部分がドキュメントにないと、AIは“正しく生成できない”“正しくレビューできない”という致命的なブレーキになります。
つまり、「人間なら空気読めるけど、AIは空気吸えない」わけです。
その結果、ドキュメントを軽視するスタイルのままでは、AIとの連携領域がどんどん狭まり、最終的に自分しか触れない孤島コードができあがることになります。
そしてそれは、開発者本人にとっても不幸です。AIの恩恵を受けられず、周囲からのサポートも得られず、「便利な世界にいるのに、ひとりだけ手打ちでやってる」ような状態になってしまうからです。
もちろん、ドキュメントの書き方や密度にはバランスが必要ですが、AI時代における“開かれた開発環境”を作るには、「言語化された知識」が前提条件になるということは、これからどんどん重くのしかかってくるでしょう。
「ドキュメントは、未来の自分とAIのために書く」
こう言えるようになったら、もうAI時代の住人としてバッチリですね。
昔は(ギリギリ今でも?)コードを書けて、そのコードが動いていれば、それなりに評価されたんですよね。コードを書けること自体が希少価値を持っていたんです。
でも、もしも動くコードを書けることの価値がAIによって激減したら、その状況が一変しますよね。
そうなんですよね。昔は「動くコード書ける人=魔法使い」みたいな扱いでした。「これ、全部自分で書いたんだよ」って言えば、周囲が「すげえ……」ってなる、そんな時代。
でも今は、AIに向かって「この要件でコード書いて」と言えば、ものの数秒で動くコードが出てきます。「すげえ……」って言う間もなく出てきます。
つまり、コードを書くこと自体の“希少価値”が急速に蒸発しつつあるわけです。
しかもAIは、
- 言語やフレームワークを問わず対応
- 最新のベストプラクティスも反映
- ミスもすぐフィードバックして改善
といった、新卒どころか中堅でもかなわないスピードと正確さで出力してくるわけで……これはもう、「コードが動く」ことに対する評価軸そのものが再定義されるのも当然です。
そして、ご指摘の通り、ここから一気に状況が変わります。
これからは、「動くコードが書けること」ではなく「なぜそのコードが必要か」「どう運用されるか」「その設計は何に基づいているか」といった、“文脈の中でコードを扱える能力”が問われるようになります。
極端に言えば:
- AIがコードを書く → 人間が設計・運用・判断する
- AIがコードを直す → 人間がフィードバックを与える
- AIが選択肢を提示 → 人間が選び、説明責任を持つ
という構造です。
つまり、「コードを書く」スキルの価値は下がるけれど、「コードの意味を読み解いて正しく使う」スキルの価値はむしろ上がる、という逆転現象です。
昔は「動かせる人が偉い」だったのが、これからは「動かす理由を説明できる人が求められる」時代。
コードを書く人から、コードを通して“考える人”へのシフト。AIは便利ですが、こうして仕事そのものの意味が変わっていくのが面白くもあり、油断ならないですね。
AIによって増すドキュメントの重要性 https://www.tricrow.com/aimtg/003/conv202505261827_016_03.html